Sakuyaのイソジオタ活のススメ

サブカルにまみれていたバブル時代を経て現在五十路

マンガの実写化について

がっつり落ちてしまって、ごめんなさい。

 

何が原因とかなくて、気候のせいだったりするのですが。

テンションあがらなくて、グズグズしていた昨日の夕方。

例の漫画家さんの死亡のニュースを見て、もっと暗い気持ちになってしまいました。

件のドラマも全話ではないけれど見ましたし、ドラマの脚本のことで揉めたことも知っていました。…まさかこんな結末になってしまうなんて。

 

マンガの実写化、ドラマ化について、私はもう随分前から「別物」として見ています。

原作に思い入れがあればあるほど、「実写化」したドラマへの評価のハードルは高くなります。そういう気持ちで見たら、残念な思いが強くなる。

なので、もうはなから「別物」として見る。原作のイメージを重ねない。オリジナルと同様に、単なる「ドラマ」として。例えていうなら「二次創作」みたいなものですね…

原作者がかなりの比重で関わらなければ、きっと原作のイメージを損ねてしまう。中途半端に関われば、きっと色んな意味で傷つくことになると想像できます。だから大抵は、手を放してしまう。放せば、それこそ…原作のイメージとはほど遠いものになる。

ただ、脚本家の側に立って見ると、そこは腕の見せどころなんだと思います。この原作をどう料理して、自分の作品として世に出すか。限られた話数で、どんな作品に仕上げるか。脚本家の力量が問われます。

実際問題として、原作付きのドラマで当たったものも多い。「逃げ恥」とか「のだめ」とか。ただ、それさえも、原作者から見たら、納得いっていたかどうか。

 

この問題はなかなか根深い問題です。実写化の話が持ち上がったときに、どのような経緯だったのか、ということが重要であると同時に、最初の条件をお互い(原作サイドと制作サイド)にどう飲み込むか…。

 

それにしても、一体いつからテレビドラマはマンガ原作が多くなったのか。オリジナルドラマを作るには、制作サイドの仕組みに問題があって作りにくいのかもしれませんね。

 

畑違いの者が一緒に一つの作品を作るのって難しい。お互いの常識が違うのです。だから片方の常識で話しても、もう片方にはまるで外国語のように聞こえてしまう。そこを丁寧にとりもってすり合わせる仲介人(通訳)が必要なんだと思います。

 

この件については、これ以上深くは言いません。言いませんというか、言えないのです、見えない情報がありすぎなので。

でももう一つ。今回の事件の根本には「創作者としてのプライド」があると思うのですが、それをこんな悲劇にしてしまったのは、SNSです。誰でも自由に考えを表現できるSNSですが、「言っていいことと悪いこと」の判別を自らできないと大変なことになってしまう。こんな悲劇が、続かないことを祈りたいです。

 

…言っていた②ですが、少し書きあぐねいています。週末にKアリのライブがありますので、その後になるかもしれません。