Sakuyaのイソジオタ活のススメ

サブカルにまみれていたバブル時代を経て現在五十路

鬼滅の刃を読破する

アニメで遊郭編まで見ていた鬼滅の刃をその後からマンガで一気読みしてしまいました。

テレビで最初アニメを見たときは、面白いけど、こんな恐い設定の話が子供に流行ってるんだということに驚いたのですが…

「鬼」や「妖怪」といったモチーフの話が子供には流行る傾向はあるものの、鬼滅はその中でも相当容赦のない描写が多い。

鬼舞辻は本当に容赦ない悪役で、その残虐性は類を見ないほど。ただ、それに対するように、主人公の竈門炭治郎は底抜けに良いヤツで。

底抜けに良いヤツな主人公に、類を見ないほど残虐な敵。その図式は一見単純だ。ところが、その二人の間にいるキャラクターは、実にバラエティに飛んでいる。良いヤツだけど変なヤツ、悪いヤツだけど可愛いヤツ…柱にしても、一貫性があるようでない。

最後まで読んでみて、特徴的なこととして目についたのは、物語のその殆どが戦闘シーンにおいて語られていることだ。味方にも敵にもそれぞれつらい過去があるのだが、それについては戦いの最中に回想という形で描かれている。戦いの最中に描かれることで、その過去の物語は、あまり長尺にならず、細切れのシーンとして挟み込まれている。実に上手い手法だなぁ、と思った。つまりは、そういった物語を長尺で描かないので、読み手は飽きることなく、戦闘のスピード感を損なうことなく読み進めることができる。

「鬼」になるまでの悲しい話も、その「鬼」に踏みにじられた悲しい過去も、同一線上で語られ、どちらもものすごく切ない。結局「鬼」とは何なのか。人は誰でも鬼になりうる。しかし、それを断つこともまた、人はできるのだということなのか。人外魔境なこの物語が、最終的に泥臭く人間臭い話として仕上がっているのは、そのためだろう。

2016年から2020年に渡って連載されたこのマンガは、平成の最後から令和の初めまでを駆け抜けた「傑作」だと思う。

そして、私がそう思う最大の理由は、この物語がきちんと完結しているということだ。