Sakuyaのイソジオタ活のススメ

サブカルにまみれていたバブル時代を経て現在五十路

もうすぐ5,000アクセス

Twitterでブログが5000アクセス近いので何かやりたい!とつぶやいたのですが、さてさて、何をやれば…?と考えています。

 

やっぱりBE:FIRST関連ですかね。だとすると何がいいのかな。一つ思ったのは、割と最初の頃にやった星座による分析。これをまた今やってみるというのはおもしろいかも。だいぶ彼らの関係性も表に見えている部分で変化している気もするし。どうでしょうか? まあ、もしも別にリクエストあったらください。

 

えーっと、先日、リュウヘイの誕生日のときに、Brave Generationの歌詞について書いたのですが、もう少し具体的にいうと、私は、学生の時、すごく成績が良かったんです。こんなことを書くと不遜なんですが…小さい時喘息もちで身体が弱かったので、スポーツはしないし、苦手で、それをカバーするためにそっちを頑張ったというか。ただ、周りが思っているほどは勉強ばかりしていたわけではなくて、どちらかというと本を読んだり、マンガを読んだりの方が多くて。あとは器用というか、ポイントを掴むのが割と早い性質で、人の半分くらいの時間でいろんなことができたんです。

私の成績が良かったので、多分両親はすごく期待していたんじゃないでしょうか。

もちろん、地元に戻って就職したのは、喜んでくれましたし、地元ではそこそこ良い就職先でした。ただ、正直な話、私は勉強=知識を蓄えることは好きでしたが、それを何かには活かせませんでした。仕事にも向いていなかった。そこは、性格の問題で、やはり社交性がなかったからかな…

それでも自分なりには頑張って仕事をしたつもりです。

今強く思うのは、両親からもらった才能というか、能力を活かせなくてごめんなさい、ということです。勉強ができたり、文章が書けたり、絵や書道もそこそこできて、学生の時は賞もよくもらいました。そういった能力を何にも活かせなかった。もう少し、どれかに絞って努力をしたなら、「何か」になれたのでしょうか?

とにかく、結果として私は「何か」にはなれなかった。自分は、それで後悔はないのですが…両親には申し訳なく思っています。

それでも、地元で結婚して子供もいて…ありふれた幸せが身に沁みたりします。実際、これが私の身の丈に合った幸せなんじゃないかと。

First Stepのこれまたリュウヘイパートで

夢で膨らんだ風船/不安定に飛ぶ熱気球/誰かになれない自分を愛せるように

という歌詞がありますが、ありふれた現実=誰かになれない自分 みたいな。

そして、どこか誇らしげ=自分を愛する ということだと思いました。