Sakuyaのイソジオタ活のススメ

サブカルにまみれていたバブル時代を経て現在五十路

卓球が大学合格につながった話①

下の娘の受験の話は、まずは卓球のことからお話ししないといけないので、少し長くなりますがよろしくお付き合いください。

 

次女が卓球を始めたのは、小5にあがる前の春休みでした。元々夫が卓球をやっていて、上の娘はまったく運動が駄目だったので、下の娘を習わせたかったようでした。

その卓球クラブは、基本毎日やっていて、まずはそこに週3日通うことになりました。

最初は結構嫌々通っていた感じで、というのもやっぱり次女も私に似て運動がそんなに得意じゃなかったんです。マラソンと水泳は良かったんですが、球技がね(笑)

そこのクラブは大会にバンバン出させて試合慣れさせるみたいなとこがあり、3月に始めて、4月末の大会にもう出ました。最初の大会の時、とりあえず応援に行ったのですが、まあひどいものでした(笑)からぶり、見送りの連続で。素人が見てもこれは才能ないなって思いました。指導をしてくれていた監督からも、姉が吹奏楽部だと言ったら、「じゃ、あなたも吹奏楽部に入れば?」(おいおい、)と言われて。だから、正直いつ「やめたい」って言い出してもおかしくなかったんです。週3日のところをだいたい1日は休んでました。次女と同じ歳の女の子が誰もいなかったせいもあったのですが、半年くらいたつと1つ下の子や、一番年下の子たちと仲良くなったようで、その子たちに会うのを楽しみに休まず行くようになりました。大会では相変わらず負け続けていましたが、大会もその子たちと遊びに行く感覚で喜んで出ていました。だいたい初戦で負けるので、そのあとはその子たちとずっとトランプとかして遊んでて(笑)2年目からはなんと練習にも毎日通うようになりました。その頃から本当に少しずつ勝てるようになって、6年の後半に地区大会で3位とかに入るようになりました。

あんなに下手で才能がないと監督にも期待されていなかったのに、毎日練習すればこんな風に勝てるようになるのか、と正直驚きました。

そして、中学に入って部活も吹奏楽ではなく(笑)卓球部に入りました。部活が終わって6時頃帰ってきて、急いで夕食を食べて今度は9時過ぎまでクラブで打つ、そんな生活が始まって送り迎えもとても大変になりました。もう卓球漬けの毎日でした。大会も本当に多くて、クラブのほかに中学の部活として出るものも加わったので月3回くらいはあったと思います。しかも県の大会はだいたい車で3時間くらいかかる場所であることが多く、朝早く家を出て、帰るのはいつも夜でした。