Sakuyaのイソジオタ活のススメ

サブカルにまみれていたバブル時代を経て現在五十路

卓球が大学合格につながった話②

中学校の部活では1年生では一人だけレギュラーでしたが、最初はまだ大会で勝てず、夏ころのクラブの大会で初めて地区優勝を飾りました。そのときのことは、よく覚えています。今まで負け続けてきた試合が走馬灯のように思い出されて(笑)泣きそうになりました。

そして、秋の新人戦県大会。地区で1位でシードをもらい、ベスト16をフルセットで勝ち、ベスト4をかけた試合、そこまで勝ち上がればあたるであろう想定のカットマンとの対決にこれまたフルセットで勝利しました。そのときはクラブでカットマン対策をして臨んだのですが、相手は強豪クラブの子で、勝つのは難しいと思っていました。同じクラブの人たちがみんな応援してくれたのも嬉しかったし、県大会ベスト4はすごく本人の自信になったようです。

この頃から、色々なことに対していつも「普通」に「その他大勢」で、「ただ笑っている」子だった娘が、「開いて」いったように思います。

地区大会ではいつも一緒になる子たちと、学校をこえて仲良くなったり、県の強化合宿に参加したので、ほかの地区の選手たちとも交友ができたりしました。

そして、中2のときに、県予選を5位で抜けて、初の全国大会(ジュニアオリンピック)に出場しました。大会は滋賀であり、本人はすぐに負けてしまいましたが、そのときの女子の優勝者が早田ひな選手です。決勝だけテレビで放映があり、会場中央でスポットライトの当たる中でプレイするのを遠くから見ました。

中3では地区大会を個人・団体ともに優勝。県大会では順位決定戦に負けその上の大会には出れませんでしたが、その実績から卓球の強い私立の高校3校から推薦入学の話がきました。しかし、娘は、地元の高校で卓球を頑張りたいといってすべて断りました。正直親としてもホッとしました。高校から遠くに出すのは心配でしたし、県で5~10位という立ち位置は卓球に全てかけてしまって良いのか?という微妙なラインでした。