Sakuyaのイソジオタ活のススメ

サブカルにまみれていたバブル時代を経て現在五十路

娘の受験の思い出

前回自分の受験の話をして、上の娘にあんたの時のこと書いていい?と聞いたら快くOKをくれました。というわけで、上の娘の受験の時の話です。

娘は高校1年の時から志望校を決めていました。そこに向けて吹奏楽部と両立しながらコツコツと勉強し、頑張っていましたが、結局模試では一度もA判定をとることなく、センター試験の当日を迎えました。

娘の苦手は母に似ず(笑)数学で、数学をカバーするために古典や世界史で点をかせぎ、これまた本番で初めてA判定をもらったのです。これには本人も私もホッとしました。

ところが、A判定をもらったことで気が緩んだのか、なんと前期試験に落ちてしまいました。もう当然受かると思っていたので、ダメージが大きく、受験に「絶対」はないんだと痛感しました。しかも、前期で受かると思ったので、滑り止めも受けていない、後期の願書も第一志望つまり前期と同じ大学に出していたのです。今考えると大胆すぎでしたよね(笑)

それから慌ててセンター利用の大学の3次募集に出願し、後期の勉強にも本腰を入れました。受験する大学の赤本を借りて、後期の過去問を初めて見ました。「何これ!?」受験科目は小論文ということでしたが、難解な長文が2問もあり、設問もそれぞれ3問くらいありました。正直、「これ、ダメなんじゃない?」と怖くなりました。でも、ここで弱気になったら負けだ、娘だって不安なはず。私も一緒に頑張ろうと腹をくくりました。折しも高校が入試のために閉鎖されたので、学校の先生は頼れません。娘がやった過去問を私が見て、添削やアドバイスをしました。このときは本当に自分が文章書きで良かったと思いました。

娘がそれまで国語の先生に指導されていたのは、かなり無難な文章でした。私はそうではなくて、多少常識を踏み外してもいいから印象的な文章を書くように指導しました。採点をする教官は、何十人、何百人の文章を読むのだから、印象的な文でないと引っかからない。そして過去問やほかの大学の小論文の問題を丁寧にやりこんで、試験当日に臨みました。

お解りだと思いますが、後期試験というのは、前期試験から普通はランクを落として受けます。つまり、前期と同じ大学を後期も受けるのはただでさえリスクがあるのです。

後期試験が終わるのを待つ時間は、とても長かったです。前期で落ちてから、後期の結果が出るまで、私は眠れない、食べれない、になりました。自分が当事者ならもっと気持ちは楽だったと思います。試験を受けるのは自分でなく、娘だからどうすることもできないもどかしさを感じました。

それで、結果はというと、娘は後期試験に合格しました。これもやはり、努力が連れてきた奇跡ですよね。娘が集中力を切らさず、諦めずに頑張った結果でした。「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」by安西先生

それにしても、崖っぷち受験でしたね。思い出しても本当に怖い(笑) そして、前期試験で合格、万歳!をしたかったという私の夢は、その3年後、下の娘でも実現されませんでした(笑) その話もまた機会があれば書きたいと思います。