Sakuyaのイソジオタ活のススメ

サブカルにまみれていたバブル時代を経て現在五十路

オタ活回顧録⑤

下の娘が3歳になった頃、二人の娘の子育てがほんの少し落ち着いたのですが、その少し前からテレ朝のヒーロータイムを見始めました。最初はライダーより戦隊ものがメインで、ガオレンジャーくらいからですかね。ガオシルバーが玉鉄で、ものすごく人気があった頃です。子どもと一緒に見ていたのですが、家事をしながら流し見していた程度でした。もともと、子どもの時には仮面ライダーウルトラマンは好きだったのですが、そんなに特撮自体にはまっていたわけでもなかったので…

真剣に見始めたのは、「忍風戦隊ハリケンジャー」からです。それも最初はレッド、ブルー、イエローが忍者学校の落ちこぼれ3人組という設定で、熱血だけど失敗が多い、「マジなのかあ~?」などという若者言葉なレッドに「今風だなあ」と思っていました。どちらかというと楽しい展開で、下の娘が大好きで。それが、後半、敵だったゴーライジャー兄弟が、味方になる辺りから様子が一変、私の好きな「熱すぎる友情」路線に(笑)

そこからぐっと入ってしまい、子どもにかこつけて、夢中で見てしまいました。基本、お話がおもしろくて、個人的には本当によくできている!と思うのですが、当時のキャストがまたみんな仲良しで。そんなところも引き込まれたポイントでした。

ご存じの方もいると思いますが、レッドは塩谷瞬で、カブトライジャー白川裕二郎(現・純烈)でした。塩谷くんは何年か前のスキャンダルのせいで表舞台から姿を消してしましたが、私は当時彼のファンでした。あの頃、演技は下手でしたが、不思議な魅力を持っていて、無駄にテンションが高いという意味でトイレの電灯とか言われてましたね(笑)玉鉄人気もあり、ちょうど特撮出身の俳優さんの人気が一気に出てきた頃でした。

当初は地元の特撮好きなママ友と盛り上がっていたのですが、そのうち同人誌読みたいな~という気持ちになり、けれどどうしたらいいかわかりませんでした。もう時代は紙ベースでなく、ネット中心になっていました。たまたまその筋に詳しい友人に教えてもらって、特撮関係のサイトにたどりつき、一番最初に行ったハリケンのサイトの主さんとメールをやり取りするうちに親しくなりました。偶然似たような歳の、子持ちの方で、その方にまた次のサイトを教えてもらったり、リンク貼ってあるところにいったり。そしてそういったサイトで作品を読むうちに、昔取った杵柄じゃないけど、だんだんと二次創作をまたやりたくなって、自分でも書き出しました。書いたものをサイトの人たちとやりとりしたりして、何作か書くうちに自然に本になり、それを宣伝してもらって。そして、たまたま買いたいと言ってくれた方と、サイトを共同でやることになりました。

自分たちのサイトが始まってからはすごい勢いで書いていましたね。ジャンルもそれだけでなくて、ライダーや特撮以外のものもやりましたし。ブランクが10年ほどあったので、最初は勘が戻らなかったんですが書いているうちにいつしか前に書いていたときよりも思うとおりに書けるようになりました。私は先に映像で話ができるタイプで、映像になったものを書いていくんですが、それがものすごくスムーズに描写できるようになって。寝ているときにネタが浮かんで、忘れないように携帯にメモして朝早く起きてすごい速さで書く、みたいな(笑)子どもが小さかったからまだやることも多かったし、フルタイムの仕事もしながらよくやってたなあ、と今から思うと驚きます(笑)

でも毎日多くのことをこなすのに一生懸命すぎて、結局自分を見失っていたんでしょうか。そのうち共同でサイトをやっていた方とうまくいかなくなりました。そんなに面識もない人と、勢いでやったというのもありますが、まあ私自身が元々人づきあいが得意でもないのに、ネットでの付き合いを広げすぎたのが一番の敗因でした。綻びが出たところを繕おうとしたけれど追いつかず、なし崩し的にお手上げ状態になり、結果一度ネットの活動をすべてやめました。

実はその頃、一般の方に向けたブログも始めていたんですが、上手くいかないときってすべてダメなんですね。そちらには子どもとのことや、特撮番組の感想、特撮出身俳優さんの応援などを書いていたのですが、塩谷くんについて、「あの番組でこんなこと言ったらダメだよね~」みたいなことを書いてたら彼のファンの若い子がしつこく否定するコメントをつけてきて、何を言ってもダメでした。私だけじゃなく少し交友のあったブロガーさんも同じように攻撃されて、ブログ上で謝っているのを見ました。それで自然と更新するのが苦痛になってしまいました。塩谷くんについては、ハリケンのときに彼の特殊な生い立ち(あえて書きませんが)を知っていたので、「ああ、だから彼はあんな感じなんだね」と思っていたし、何年か後に例のスキャンダルを聞いてもあまり驚かなかったんです。彼ならそういうこともあるかもね、と。

というわけで、一度本当にすべての活動をやめました。ネットをやっている限り、知らなくてもいいことを知ってしまったりするので、すべてやめるしかないと思いました。逆に、そこを切ってしまえば、もとの自分の生活に戻れることがありがたかったです。何が大事か、と言ったらそれは家族だし、現実の生活に間違いありませんから。それにネットを切っても、最初にうかがったサイトの主さんをはじめ特に仲良くしていた少しの人たちとはその後も変わりなく付き合えたし、今でも交友が続いています。

このときのことは、苦い失敗談になってしまいましたが、「あなたのやるべきことは、今はそれじゃないでしょ」と言われたようで、もっとしっかり子育てを頑張ろうと気持ちを入れ替えられたので、結果として良かったと思っています。