Sakuyaのイソジオタ活のススメ

サブカルにまみれていたバブル時代を経て現在五十路

ちょっと考えてみました①

さて、今朝のZIP!ドラマは、BE:FIRSTとしての出演だったんですね。あれはTHE FIRST FINALのBye-Good-Bye?美しいジュノンでしたね。

それと、昨晩のSPARKは特番だったんですね。どちらにしてもタイムリーには聞けてないので、また後日。そして来週はジュノリュウ、楽しみです。

 

えーと、今日は日頃少し気になっていたことを考えてみました。そのために、ちょうど図書館で目についたこの本を借りました。

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そう、「推し」って何なの?ということです。

私の若かりし時代にはこんな言葉はなく、「ファン」とか「マニア」とかニュアンスは少し違うけど「ミーハー」とか。

そして今、何の疑問も持たずに「リュウヘイ推し」とか言っていますが、そもそも「推し」ってどういう意味なんでしょうか。

この本によると、「推し」とは「推薦すること」とあります。第三者への布教精神が伴うと。そうやって「推す」ことによって、自分の価値を認識して、「自分はここにいるんだ」「自分はここにいていいんだ」と思わせてくれるものだと。

なるほどと思いますが、では自分に当てはめて考えるとどうでしょうか?私は、リュウちゃんのことを布教しているでしょうか?彼が好きな理由とか、彼の魅力をしつこく(笑)語っていますが、それって布教活動ですかね?うーん、布教するってことは、同志を増やすのが目的だとすると違う気もします。例えば私のこのブログを読んで、リュウヘイのことを好きになった人がいたら、もちろん嬉しいですけど、そこが目的ではないですね。

でも、「こんなに好きなことがある!」「こんなにこの人のここが好き!」という気持ちを吐き出して、「自分はここにいるんだ」と思いたいというのはあるかもしれません。

自分の青春も終わり、そして子育ても、やってきた仕事もひと段落し、そろそろ先が見えてきた人生において、何か新しい「糧」を見つけたような気持ち。

今まで大変だったけれど、この先はゆっくりと穏やかに暮らしたいと思うのに、現実は親の介護や、子供たちの就職や、結婚など、まだまだ大変なこと山積みなんです。何ならこれから先の方がずっと大変です。その大変なことを忘れさせてくれるのが私にとっては「推し」の存在です。BE:FIRSTの動画を見て、リュウちゃんの顔やダンスを見て、歌を聴くことによって、どれだけ癒されたか。だからいつも、最後には感謝になってしまうんです。応援させてくれてありがとう、って。要するにこれが「推しが尊い」ってことですよね?

 

そして、もう一つ知りたいのは、この「推し」ってその昔自分が好きだった人にも当てはまるのか?ってことです。まあ昔のことなんでその時の熱は忘れていたりしますが、「推し」という言葉の持つニュアンスがこの時代特有のものだとすると、それは違うということですよね?でも内容が同じであれば時代が違うだけでやっぱり「推し」なのでしょうか。傍にいた娘にそのあたりを聞いたみたら「そんなこと考えること自体がくだらない」とか言われちゃいました(笑) できるだけ思い出して比較してみると、想いの熱さは同じ気がしますが、「癒され」具合はかなり違う気がします。昔はもっと別のことにもたくさん癒されていた気がするんです。でも今は自分を癒してくれるものってとても少ないんです。今の時代のせいなのか、それとも年齢のせいなのか。そのどちらとものせいなのかな。

 

何か考えとか答えとかをお持ちの方がいたら、ぜひともお聞かせください。