Sakuyaのイソジオタ活のススメ

サブカルにまみれていたバブル時代を経て現在五十路

オタ活回顧録(番外編)物語を創るということ【後編】

才能ということでいえば、プロになりたいと思わなかったか?という問いに対してはやはり「才能がなかった」という答えになると思います。

純然たる創作ではないですが、高校1年の時に、小林秀雄の「無常ということ」を読んで書いた感想文が県の代表になりました。それは自分の中では、感想文という枠を壊して、初めて創作のテクニックを使って、自由に書いた文章でした。それを当時の国語の先生が、すごく褒めてくれて、手直しもなしでコンクールに応募してくれました。それが良い賞になり、本当に嬉しくてもっと書きたい!と思ったんです。振り返ると、それが私の書くことの原点だと思います。

けれどプロということになれば才能が届かないというのは分かっていました。負け惜しみかもしれませんが、挑戦しようと思えばできました。が、そのために自分が擦り減るのが怖かったんです。プロになる、というのは書き「続ける」ことで、書き続ける自信はなかった。そういったリスク以上に、プロになりたいという気持ちは強くなかったし、プロになってどうしたいのか?という問いにも答えを持っていませんでした。

そういう思いを抱えていたのは20~22歳の頃です。結局地元に戻って就職することに決めました。けれど、書くことはあきらめたくなくて、「趣味で書いていこう」と決意しました。そう決意したら色々納得できたんです。「後悔もないよ、どこか誇らしげ」ですよ、まさに(笑)

それからは、もうずっと「趣味で」書いてきました。二次創作もオリジナルも。そこのところは本当にきっぱりとしていました。

そして、ただ「書く」ではなく、その時々で読んでくれる方にも恵まれて、感想などもたくさんいただきました。やっぱり感想をいただくと励みになります。自分が込めた思いを読み取ってもらったりすると本当に嬉しいです。たとえ、自分が意図したことではないことを感じてもらったとしても、それはそれで良いと思うし。とにかく、自分が創った物語から「何か」を感じてもらうというのは、ほんとにかけがえのないことです。
物語を創ることは楽しいし、そのうえ感想をもらうともっと楽しい。やめられないなーという感じです。

状況が許さなかったり、ネタはあってもなかなか書き進まなかったりはもちろんします。他人と、書くことを共有するうえで傷つけあったりすることもありましたし。

それでも、この歳になっても、まだあきらめてはいません。この先もまた書きたいです。物語を創り続けたいです。だから物語を創るということは、私のライフワークみたいなものですね。