Sakuyaのイソジオタ活のススメ

サブカルにまみれていたバブル時代を経て現在五十路

推しに対する愛と対価のバランスについて

この頃少し、供給を追いかけてばかりで、慌ただしくてちゃんとした「記事」を書けていませんでした。今日は久しぶりに推しのことについて思いを書きたいと思います。

 

日曜の深夜に、アキテクで96ブラの1年以上前に撮影された映像が公開されたそうです。

翌朝のTwitterでその話題を知ったのですが。アキテクというのは、1ヶ月5,000円のアーキテクト会員のことで、BMSGの運営方針等が社長から配信されるようです。すいません、詳しくは知らないので、概ね、ということで。間違っていたらごめんなさい。

アキテクの存在は知っていましたが、やはり安くない金額ですので、迷いもせず入りませんでした。

もちろん、96ブラの映像は見たいです。1年以上前というと、まだ中学生と高校生の黒髪のリュウヘイとシュント。あのファイナルの後なわけで、ファイナルで調子が悪かったリュウヘイをしてあのクオリティだったaddictive Art。喉から手が出るほど見たい。

見たかったら会員になれ、という勧誘だとしたら巧妙ですよね。…けれど、私は別にBMSGの運営方針を知りたいわけではありませんし、あの映像公開の真意が勧誘ではないという話もあります。

そのうえ、社長がTwitterでその日の夜、件の映像のイントロの部分だけを公開しました。スモークが焚かれたステージに真っ白い衣装を着た二人。イントロが終わって、リュウヘイの歌い出し…そこで切れています。この後はアキテクで公開、と。これはたきつけますねぇ。勧誘が真意でなければ正直、このやり方はないんじゃ?そして、これみよがしの(旧96ブラ)という書き方。旧というからには新があり、新を使う機会があるということですよね?

この一件で私が思ったのは、社長の真意に対する不信感…では、ありません。推しに対する愛と対価のバランスのことです。

いつもいつも、推しに対する愛があれば対価が必要だという意見に、私は従えないけど、否定はできませんでした。対価を払えなければ、情報に置いて行かれる。芸能界というビジネスの中では、当たり前のことです。それでも家計と天秤にかけて、ギリギリのところでやりくりしているのだから無理なことはできない。見たいものを見れない、出たいイベントに行けない…色々なことを仕方ないと諦めているわけです。

それに納得できなければ推し活をやってはいけない。

推しへの愛と家計を天秤にかける。CDも、積まなければ(たくさん買わなければ)本当の愛ではないという人もいる。

推しができて、ずいぶんと私も色々新しいことをやってきていますが、自分の中にある経済観念の一線を越えることが果たして「愛」なのかどうか…

だって、推しへの愛で幸せな気持ちにはなれますが、実際に推しは私の家族を養ってくれるわけじゃないですから。今後の私の面倒を見てくれるわけではないですから。

 

と、一見理性がある結論に辿り着いているように見えますが…

そもそも、こんなことを考えるまでに至っているということが、どれだけ沼に浸かっているかを証明しちゃっています(笑)

 

私は元々が2次元オタクです。今まで好きだった実在の人物といえば、スポーツ選手・声優・特撮俳優…これもある意味2.5次元みたいなものですよね。

リュウヘイについても、そのビジュアルは、顔が小さく手足が長いスタイルの良さと透明感や儚さといった2次元的な雰囲気を持っていて、耽美や退廃という前時代的言葉が似合う絶滅危惧種(?)です。

ですが、彼は、その体で更に歌い踊り、思いもよらぬトークを聞かせてくれる。これはもはや3次元を超えて、異次元なんですよ。

この間のゲゲゲイのリュウヘイを見て、そう思いました。そして、その異次元にすっかり吸い込まれてしまってるな、って。

危ない危ない。これまで本当に私を癒してくれて希望をくれた推しですが、今後の私の面倒を見てくれるわけではない、そこのところをしっかりと肝に銘じておかないと(笑)